▼兜松▼ 藤沢市宮前100

むらおか歴史の道


        

 弱冠16歳の鎌倉権五郎景政は「後三年の役」で戦功を挙げ、寛治元年(1087)に凱旋し御霊神社に戦勝報告をしました。その記念に兜を松の根元に埋めたといわれるのが兜松の由来です。現在は神戸製鋼所の敷地内にあります。
        

 天慶3年(940)平良文(村岡五郎)が甥にあたる平将門を討つために京都の御霊神社(祭神は早良親王)から勧請し、後に祭神として鎌倉権五郎景政・葛原親王・高見王・高望王を加え五座となりました。

 社殿に向かって左手には天然痘を治す痘瘡神(姥神)、その裏手には十二天王社の小さな石の祠が祀られ、今でも祭礼には子どもたちの手作りの神輿が出て賑わいます。
また向かって右手には、もと兜山(現在、神戸製鋼所敷地内)にあった七面堂と矢竹稲荷が祀られています。鎌倉権五郎景政が戦いの時に目を射抜かれた矢を個々に埋めたところ枝葉がはえてきたという逸話に因んだ稲荷社です。

村岡五ヶ村(高谷・小塚・弥勒寺・宮前・渡内)の総鎮守です。同社には御霊神社縁起,境内図、大絵馬などの文化財が保存されています。
痘瘡神、折笹矢竹稲荷、また、“タブの木”があります。“タブの木”は幹周り4.81m、藤沢南部地区随一の大木で、葉の粉末は線香の材料に使われます。

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「xxxxxxxx由緒」

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天正18年(1590年)aaaa 慶長7年(1602年)bbbb 寛永4年(1627年)cccc 寛永5年dddd

<案内看板より:上部写真>

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若宮八幡神社本殿 (市指定有形文化財(建造物)

桁行三間・梁間三間・一重
正面入母屋造・背面寄屋造
向拝一間 唐破風造

元文(1736〜1741)建立

 

 

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